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ほしいりこはく:3


共同生活を始めて半年経った明治三年十一月、俺の字は見違えるほど整った。
ミミズ文字が現れることはなくなり、己の書いた字が読めないなどという現象も起きなくなった。

仕立て物の依頼も一時期に比べて落ち着き、そろそろ書道だけだと退屈するだろうと俺に気を使った時尾が、会津から持参した本を読み聞かせてくれるようになった。

しかし時尾の声は耳あたりが良いので、疲れている時などはつい睡魔が襲ってくることもあった。
新撰組として命のやり取りをしていた頃は少々の睡眠欲など気合いで殺したものだが、不慣れな低温地域で栄養不足な食事に重労働とあっては、体力の奪われ方が違う。

ある日の昼下がり。本を読んでもらっている最中、眠気を我慢する俺に
「お疲れなのですね。こちらでお休みになってくださいませ」
と時尾は継接ぎだらけの座布団を折り畳んで自分の膝元に置き、どうぞどうぞと勧めてきた。
一度は断ったものの、時尾の朗読が始まると瞼が重くなる。

結局、座布団枕に頭を委ねて横になった。
自身の頭のすぐ傍に時尾の膝があるのを見て『本当はそちらがいい』と少々もどかしく思いながら、時尾の声に誘われるようにして眠りについた。

以来、時尾が本を読んでくれる時は座布団枕も用意された。
時尾の落ち着いた声とともにほんの一刻午睡するだけで、その後の仕事の効率は目に見えて上がった。

「時尾は祐筆だった頃の上等な着物を、生活の為に全て手離してしまった」と、ある時倉沢氏が零した。
せめて一つくらいは残しておかないか、と義父に言われても時尾は聞かなかったようだ。

『その上本まで取り上げられることになっては、あまりに不憫だ。
そうならぬように、若い男手である俺がもっと稼ぎになる働きをしなければ。
剣の腕抜きでも頼れる男にならなければ。

時尾が、頼りたいと思える男にならなければ。

…何故そこまであの女のことを』

深夜の寝床でひとり自問する。
ガキじゃあるまいし、答えなど解りきっている。
しかし捻くれ者は一度や二度ではそれを認めたがらない。
強引に瞼と意識を閉じて、自問に対する自答を脳内の奥深くに仕舞い込んだ。

翌日、午前の農作業を終えて一旦帰宅すると、囲炉裏の間には既に食事が用意されていた。
先に食事をとっていた倉沢氏とその子息と同居仲間の男から声をかけられ、倉沢氏の妻が湯呑みに白湯を注いでくれた。

いつもなら食事をする我々の側に時尾もいて、白湯を注いでくれる。
その姿が見えないので、思わず周囲を見回してしまった。
すると倉沢氏に「ああ、時尾かい?」と察せられ、
「ええ、まあ。お出掛けかなと」と一瞬の動揺も悟られぬよう平静を装う。

「いや、向こうの部屋に居るよ。つい先ほど久しぶりに再会した”彼”と積もる話もあるだろうから、我々のことは気にせず暫く二人水入らずでゆっくりしなさい、って言ったんだよ」

穏やかな口調で「そうそう、今日から”彼”もウチで一緒に暮らすことになるから、後で君にも紹介するよ」と言う倉沢氏に、「ええ、是非」と答えた俺の声は低過ぎやしなかっただろうか。

倉沢氏父子や他の人間が各自の仕事場へ散ったのを見計らって、食事をさっさと掻き込んで時尾達が居る部屋へ向かう。
襖を隔てて、時尾の明るくはしゃぐような声を初めて聞いた。

お呼びでない、のは重々承知。だが。

「失礼。開けてもよろしいか」俺の問いに
「あら、斎藤様。どうぞ」いつもより幾分華やいでいる時尾の返事。
そして「もしかしてあの斎藤一…?」と男の小声。

『お前が時尾と懇ろな関係にある”彼”か。そうだ俺がその斎藤一だ。
どれ姿を見てやろう。そして名を名乗れ』

勢いを殺してすすすっと襖を開け、時尾の隣に座る男に目をやり、そして釘付けになる。

艶やかな烏の濡れ羽色の断髪、それと同じ色艶の凛々しい眉と長い上下の睫毛と力強い二重瞼の瞳、高い鼻に厚すぎず薄すぎない唇、それらが均整の取れた位置に配されている彫りの深い顔立ち、すらりとした体躯。

こちらが細い目を見開いたまま一時停止し息を呑むほどの、美青年だった。


2015/11/15
2017/07/16