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茶色


軍服に身を包み、緊張した面持ちを髭に隠して直立する俺の隣に
花嫁衣裳で西洋風の猫足椅子に腰掛けるみどりは
ほんのりと頬を染めていた。

つい先ほど、母はみどりの髪を整えながら言った。
「みどりさん、息子は男だらけの環境で軍人として育ち
女っ気もない食いしん坊ですので
おなごへの扱いに不慣れな点が目立ってもごめんなさいね」
女二人が小さく一笑すると「時尾さぁん、ちょっと」と呼ぶ声がして
母は声の主の方へ行った。

俺はみどりをちらりと横目で一瞥して呟いた。
「こんな美人が近くに居ては飯もなかなか喉を通らない」

本心だった。
率直な物言いをする奴だとはよく言われる。
しかし俺の言葉に黙って俯いてしまったみどりを見て
歯の浮くような世辞だと思われただろうか、
不快な気分にさせてしまっただろうか、などと
表面上は平静を装いながらも内心動揺していると
俯いたみどりの耳がじわじわと赤く染まっていくのが見えた。

才色兼備で俺などには勿体無い相手だが
親が決めた縁談だし親が良ければそれでいい、と
みどりとの見合いの席ですら淡々としていた俺が
この時初めてみどりのことを可愛いと思った。

みどりの紅潮が落ち着いた頃、こちらに写真機が向けられた。
二人揃って微動だにせず
止めなくてもいい呼吸まで止めてしまいそうな緊張の一時。

現像される写真には、新婚夫婦の機微までは反映されないのだろうと思うと
少々惜しい気もした。

撮影を終えて一息ついていると、両親も二人で写真を撮っているのが見えた。
母が半ば強引に父にねだったらしい。
父は観念した様子で、母と並んで写真機の前に立っていた。

後日、母は俺とみどりの写真の隣に自分達の写真も並べて飾った。
「この父母の写真も、出来れば大事にしてくださいね」
父は「新婚夫婦と何を張り合おうとしてやがる」と呆れ顔だったが、
どこか照れくさそうにもしていた。

同じ頃、父は日本が外国との戦に勝利するたび歓喜に満ちていた我らとは違い
「日本はいつまで迷走を続けるのか」
「いつか大きなしっぺ返しがくる」と憂国の独り言を繰り返していた。
そんな父の姿に俺はただ
父様も年をとったな、孫の顔を見せれば少しは落ち着くかもしれない、くらいに思っていた。
そのことを寝床でみどりに相談したところ
使命感のようなものを刺激してしまったらしく、
「あなた今夜から満足に睡眠が取れると思わずご覚悟を」と瞳を爛々とさせ
「無理をする必要はない」とこちらが言い終わらないうちに馬乗りになってきた。

両親にとって初孫となる娘の首がすわった頃に
家族五人で写真館へ足を運んだり、
弟の結婚式で写真師を呼んだりして
飾る写真が一つ、また一つと増えていった。

色付動画よりも色鮮やかな記録。細やかな幸せの記憶。

「あなた、早くこちらへ!」
みどりが老いた喉を枯らして俺を呼ぶ。
辺り一面は火の壁、火の迷路。
遥か上空から見下ろせば火の海かもしれない。

燃えた瓦礫の下敷きになっている者、
焼夷弾が体に突き刺さったまま焼死している者などが
そこらじゅうに居る地獄絵図の中を、
汗と煤にまみれた顔を拭い衰えた脚を懸命に動かし
家族で逸れないように固まりながら避難する。

あと少しで逃れられるという所で、
赤々と燃える大きな柱がみどりのほうを目掛けて倒れようとした。
その瞬間、重かった老体が嘘のように軽くなり
みどりを体当たりするように庇って二人で地面に倒れ込み
何とか柱を避けることができたが、
俺の手提げ袋に火が燃え移った。

躊躇する間も無く手提げ袋を放り捨てて立ち上がり、
火事場の馬鹿力でみどりを抱えて
延焼していない場所まで命辛々家族全員で辿り着けた。

俺は遠くで燃える手提げ袋のほうを見つめた。
中身が次々と灰になり熱風に煽られて上空へと舞い上がる。

袋に大した物は入れていなかった。
亡き両親の写真以外は。

ふと、憂国の独り言を繰り返していた父の姿を思い出す。
年寄りの杞憂ではなかった、激動の時代を生き抜いた猛者の先見の明だった。
それを尻目にした我ら帝国軍人が国をこのような事態に陥れてしまったのだ。

「この父母の写真も、出来れば大事に」と微笑んでいた母の姿を思い出す。
機会さえあれば夫婦や家族の写真を撮ることに拘っていたのは、父の為だった。
殻に篭りがちな父に、独りではないという証拠を目に見える形で残そうとしたのだ。

母の愛情が詰め込まれ、父が密かに手に取っては喜んでいたであろう紙切れが
散り散りになって消えてゆくのを
俺はただ見届けることしか出来なかった。


2015/08/15