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船出


物心ついた頃から、母の懐で諭された。

「どんなにつらいことがあっても
じぶんをあわれんではなりませんよ。

つらいことがあってから
ふこうになるのではなく  
じぶんをあわれんでしまったときから
ふこうになるのです」

「どんなにつらいことがあっても
じぶんをあわれむのではなく  
はげましていきなさい」 

甘えん坊の僕は母に訊ねた。
「それでもつらかったらどうしたらいいの?」
母は僕の頭をそっと撫でた。
「わたしのところにいらっしゃい」

甘えん坊な上に堪え性の無かった僕は、辛いことがあると自分を励ますという過程をすっ飛ばしてすぐに母に泣きついた。
更には父の膝にも無理矢理居座った。  
父は僕が精神面で軟弱な分、長男である兄以上に厳しく躾けようとしたものの、教育が行き届いたのは剣道の技術のみで精神面は今一つのまま変わらなかった。
それでとうとう諦めたのか、はたまた実質的な末っ子相手につい油断したのか、僕を撥ね付けるようなことはしなかった。
僕は両親からたっぷりと愛情を受けて育った。

漢字の読み書きが少しずつ出来るようになった頃、父が定期的に友人達を招いて酒盛りをする時の話題は決まって薩長への恨み節だと気付いた。

台所で酒の肴を用意する母に「母様、あれは良いのですか?」と訊ねた。
息子からの質問の意味をすぐに察した母は穏やかに微笑む。  
「良いんですよ。
あの方達は自分を哀れんでああ言っているのではありません。
故郷と主君、そしてそれらの為に散った人々、今も尚苦しんでいる人々を哀れんでいるのです。
自分を哀れんでくよくよするような人が、どうやってかつての敵の下で軍人や警官として武勲をあげたり、大学の学者さんになれたりするでしょう。
あの方達は自分を励まし続けて幾度も苦境を乗り越えたのですよ」

「ご子息は外国語の成績が大変優秀であるのみならず、誰とでも直ぐに打ち解けられる社交性も群を抜いております。さぞやご両親と深い信頼関係を築いて育ってこられたのでしょう。
担任教師としてはっきり申し上げますが、ご子息は日本国内にとどめておくべきではない逸材です」

僕の背が母よりも頭ひとつ分高くなった頃、自宅の客間で担任の先生と両親そして僕とで四者面談が行われた。

面談を終えた夜、両親は僕に早めの就寝を促してそそくさと自分達の寝室へと篭った。
僕は言いつけを聞いたふりをして両親の寝室にこっそりと聞き耳を立てた。
これから僕の将来の話をするに違いないと確信していたがゆえの無粋な行動だった。

「…あと、先生から言われたのは、外国へ行かせるにはそれなりの費用がかかるということですわ」
「それは…貯金があるだろ。あと仕事量を増やせないか職場に相談してみる」
「まあ、そんな率先して老体に鞭打ってくださるんですの」
「何言ってる、お前の職場にだぞ」
「あら私のでしたか」  
嘘だよ俺のに決まってるだろ、いやですわもう意地悪、と掛け合う両親の睦まじい空気が襖の隙間から駄々漏れてくるようだった。
このまま良い雰囲気になり妙な沈黙が流れようものなら早々に退散しようと思っていたら
「とはいえ、私もお仕事を増やそうと思っていたところですわ」
「いや、お前はこれ以上忙しくしなくていい。息子と娘達への世話の質を落とすな。
…勉が早々に金のかからない道へ進んだ分、剛には出来る限りの投資を惜しむなってことなんだろう」  
両親は真剣な話し合いを続けていた。

「でも私が本当に心配しているのはお金のことではありませんのよ。
あの人一倍両親にベッタリの甘えん坊さんが日本を出るだなんて…」
「…西の田舎で凶作に苦しんだ農家の次男三男が、小金を拵えようと相次いで遠い南の島国へ移住し始めて十余年、噂ではその暮らしぶりは苦しく小金どころか帰国すら儘ならないと聞く。
…海外に出すならば、今生の別れとなり得ることも想定するべきか」
「親離れの時…ですわね」
「俺達も子離れの時だ。
あいつが国内にとどまろうが海外に出ようが、いずれしなければならんことに変わりはない」

そこまで聞いて、僕は忍び足で自室に戻って寝間着の袖で両目を拭った。

僕の背が父とほぼ同じ高さになった頃、僕は大型船の甲板にて出航を控えていた。
波止場でこちらを見上げる老いた両親の姿が思いの外小さく見える。
その後ろから軍服姿の兄が駆けてきて両親の間に立った。

数ヶ月前に兄と盃を交わした時の会話を回想する。
「兄様って、もしかして僕にお金がかかるのを見越して軍人さんになったのではありませんか?」
「まさか。俺は自分がなりたいようになっただけに過ぎん。そんなに俺の事を買いかぶってくれなくてもいいぞ」
兄は夕餉を済ませた後の酒のお供にと、どんぶり鉢いっぱいのうどんを啜っていた。
「兄様、ずっと僕に優しかったし…時々ケンカもしたけど。
学校の成績も一番とかだったから、兄様は大学に通って学者さんになることだって」
「剛」
いつの間にかうどんを食べ終えた兄が言葉を遮る。
「買いかぶるどころか、見くびってもらっても困るな」
「ごめんなさい、そんなつもりは」
「あってもなくてもいい。今し方言ったばかりだが、俺はなりたいようになっただけだ。
お前もなりたいようになれ。父様も母様もお前を援助して見守ってくださる」
特にお前には昔から甘いからなあの二人は、と兄は酌をしてくれた。
兄様ヤキモチですか、と酌を返すと
お前が生まれた時から少し羨ましかったさ、と兄は苦笑しながら飲み干した。
「あと、外国語の能力と人懐っこさはお前に敵わなかった。
…なあお前、将来どうなりたい?何がしたい?」
「…僕は…」
幼い頃からの夢を初めて人前で打ち明けた。

回想に幕を下ろすけたたましい汽笛が港に響く。
船はゆっくりと陸地を離れる。

母がハンカチーフで目頭を押さえている。  
その隣で兄と場所を入れ替わった父が母の肩をしっかりと抱いている。
僕は両親に向けて手を振る。
父の隣に立つ兄が敬礼してくる。
僕は兄に向けて答礼する。

僕の幼い頃からの夢は、ハイカラな物が好きな両親に海外の雑貨をたくさん贈ること。
それが転じて貿易商を営みたいと思うようになった。
海外の現地で自分の気に入った物を次々と直に見て触ってから買い付けて日本へ送る人になりたかった。

その夢を実現するには主に二つの条件が欠かせない。

一つは、外国語の読み書きと会話が出来ること。
外国語を習得出来た要因としては、学校での勉強よりもたまたま知り合った近所の外国人宣教師の家へ頻繁に出入りしたことが大きかった。
下校途中に訪ねると丁度ティータイムで、一家は必ず僕の席を用意して歓迎してくれた。
宣教師の娘がとても可愛らしかったので、特に会話力の上達は一層早まった。

もう一つは、大好きな家族と共に暮らし育った祖国を遠く離れること。
見知らぬ地で何らかの災難に見舞われて一生戻れない可能性を抱えて。
その条件は今、少しずつ満たそうとしている。
両親と兄の姿がもう見えなくなった。

これから遭遇する苦難への不安すらも期待に変えて
常に自分を奮い立たせることを肝に銘じて
僕は故郷に向かって「行って来ます」と胸中で叫んだ。


2016/07/26