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築堤


私達にとって結婚とは
大海原に二人で堤を築くようなものでした

断続的に迫ってくる荒波を受け止めては砕き、或いは弱体化させて往なす堤を

海面下の基礎は既に出来上がっていました
所謂恋愛時代の賜物です

資材は主に
“お互いの経歴や今の関心事や新時代の生き方についての語らい”
“脳天から下腹部にかけて稲妻がはしるが如き甘い囁きと肌の触れ合い“
などです

揺るがないであろう、と根拠もなく思われた土台でした

基礎の上に本体を組む過程で、待望の第一子が誕生

工事もいよいよ捗ると意気込んだところで
夫に戦地へ赴けとの辞令が下りました

『望むところだ。俺は死ぬなら戦死がいい』

その一言で気付いたのです
基礎に複数箇所、価値観の相違という名の亀裂があり
強度計算も誤っていたことに
それを互いに気付かぬまま
否、見て見ぬふりをしたまま本体に着手したことに

ここまでやってきたのはあなたにとって暇潰しに過ぎなかったのかと
長期契約に対する意識の差を詰るようなことを
青かった私はつい口にしてしまいました

武家の女は戦地へ発つ身内の男を
諸手を挙げて喜ばねばなりません
本心がどうあれ快く送り出さねばなりません
そういう面では、家の為にと割り切って親が決めた相手と結婚するのが、至極合理的に思えます

そうではなかった私は、ただの女の情けない部分を露呈してしまいました

言い訳じみた事を申しますと
かつて私も夫と共に戦場を経験しており
その凄惨な記憶は骨身に沁みて今尚褪せておりません

刀で胴を割られ銃弾が眉間を貫通し砲弾が五体と臓物を散らす
今度こそ夫が
私にとって誰にも代え難い人が
そういう耐え難い苦痛を味わわされた果てに
二度とここへ帰ってこなくなる

その想像があまりにもはっきりと輪郭を持っていたものですから
行かないで、とまでは言いませんでしたが
どうか無事で帰ってきて、と切に願いながら
最終的には
信念を貫くあなたをお慕いして送り出しますわ、などと
どこかさっぱりとしない言い回しを用いたのでした

夫不在の間、赤子を背負って粛々と材を組みましたが
一人の手で出来る事は高が知れていました
途方に暮れながら
この工事は中途解約もあり得るという覚悟を固めました

夫は無事帰還
戦後の精神的後遺症なのか、元々無口だったのが益々無口になっており
このままではいけない、と
私の方からなるべく口を動かすことを心がけました
元々私もあまり喋るほうではありませんでしたが
一家に一人くらい喧しいのが居ると家庭生活にハリが出てきて良いようです
夫の口数も徐々に増えました

時折諍いが勃発し、工事が中断することもありましたが
再開するたびに互いに新しい発見を得て効率も上がり
苦節何十年
次々とこちらに襲いかかってくる波など物ともしない堤がようやく完成しつつあります

さらにこの堤、不思議なことに
工程を進めれば進めるほど基礎部分が補強されたのです
今度こそ揺るがないであろう、と二人で頷きました

堤の上で、凪いだ水平線に沈みゆく太陽を二人で座して眺めていると
夫が言います
「あの時、普段は聞き分けが良くて出来た妻のはずのお前が
取り乱して激情をぶつけてくれたのが、嬉しかった」
私は苦笑します
「あの後、自分を御しきれなかったことを恥じ悔やみましたが…嬉しかったですか」

「もし、お前が武家の女として潔い態度をもってあっさりと俺を戦場へ送り出したならば、俺は心置きなく戦えるという武士の本懐こそ満たされただろうが、
夫としては…ただの男としては、どこか見離されたような感覚が頭の隅に横たわっただろう。
俺がいなくなっても、子供はこさえたし当面は遺族扶助金が支給されるだろうしで、俺なんざ用済みといえば用済みだよな、と。
例えお前の胸中が穏やかでなく俺がそれを察したとて、
ならば少しは表に出せよと苛立ちすらしたかもな」

他人ならまだしも夫婦だし、
腹に一物抱えながら物分かりの良い女を演じられていると分かると
却って重いし冷めるし面倒になってくる、と
夫は溜息を吐きました

「だからあの時のお前は、武家の女としては失態をさらしたかも知れんが。
俺を幾久しく必要としていることを直接的に訴えかけてくれ、
またその上で武士としての俺を立てて送り出してくれたということを鑑みれば」

「結果的には有り難かったと受け取っている」

夫は正面から橙色の柔らかな光を受けた顔で打ち明けてくれました

「それと…戦場では“生きて帰りたい”とは微塵も思わなかったが、
帰り着いた時勉を抱えたお前が、白粉が崩れるのを構わず大泣きしたのを見て初めて、
生きて帰れて良かった、と思えた」

私は込み上げるものを抑えるように
「思い出しましたわ。その時私の顔を見てあなた、
“夫の凱旋だぞ、どうせなら綺麗な顔を用意しろ”なんて仰ってせせら笑いましたわね。
ああ酷い酷い」
と茶化してみせました
「そんなの、本心では“可愛くてたまらん”と思ったのを照れ隠しで軽口叩いただけに決まっているだろうが。
…今のお前のように」
私は気恥ずかしさに負けて再び苦笑を漏らしました

「縋ればしつこい邪魔するなと疎ましがって、
縋らなければどうせ自分など必要ないと寂しがって。
危険へ身を投じるなり他所へ癒しを求めるなりして帰る保証もせず離れてく。
けど帰る場所は存在していて欲しい、なんて。
夫という生き物は、本当に、」

「…自由ですこと」
「身勝手、とはっきり言えよな」

私達は互いに目を合わさず、太陽がてっぺんまですっぽりと海に隠れる一部始終を
堤の上にゆったりと流れるひと時の中で見守りました


2017/08/03