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ほしいりこはく:1


それは、例えば一番星のように見上げるこちらの両瞳を射るほどの強烈な存在感は無い。
こちらが目を凝らして凝らして漸く存在を認知出来るというような、今にも消え入りそうな淡いものだった。

御一新が成り、北の極寒の地へ追いやられる会津武士。
俺は彼らと主君こそ同じだが、生まれも育ちも所属も違う余所者で、薩長の人間に捕らえられれば即死罪の身。
そんな俺を彼らは『仲間も同然』と匿い、同じ会津武士として北への謹慎そして移住に同道させてくれた。

明治三年、新緑の時季。会津藩士の斗南移住世話役を務める倉沢氏のもと、五戸で始まった共同生活。
そこで、お前と出会った。

「農作業のない日などは、時尾から字を習ってはどうだろう」
共同生活二日目。
倉沢氏から思い付きでこう提案されて、俺は返答に困った。

時尾という名の、倉沢氏の養女。
姫様付祐筆を務めた才女であることは聞いている。
しかし、だからこそ、そんないかにも気位の高そうな女との接触は必要最低限に抑えたかった。
時尾とて、剣を振り回すことだけが取り柄の男を相手にするなど御免被りたいだろう。
只でさえ互いに気を使う共同生活、余計な波風は立てたくない。

そう思ったから断ろうとするも、移住の恩人である倉沢氏に人懐こい笑みを浮かべられてつい怯んでしまった隙に、男衆の寝室にいびつな文机やら書道具やらを用意されてしまった。
さらに倉沢氏は「用事があるから出掛けてくる。時尾に訳を話して今からここへ来るよう言っておくから、留守を頼むよ」などと言って外出してしまう。
今からもう書道教室が始まるらしい。

少しして時尾がやって来た。
身の振り方に困ったが、とりあえず礼儀として「よろしく」と正座したまま首だけで一礼すると、「よろしくお願いいたします」と城勤めの武家娘らしい洗練された動きの挨拶が返ってきて、余計に居心地の悪さが沁みてきた。

「それではまず、斎藤様の字を見せていただきとうございます」
時尾に言われて筆をとり、自己紹介がてらてきとうに自分の氏名や出生地、家族構成を記すことにした。

筆を動かしながら、口も動かした。

「わざわざ教えてもらうまでもない気はするが。文盲じゃあるまいし。漢字を含めて基本的な読み書きは出来る」
「あら、それでしたら私がお教えする必要など」
「ざっとこんなモンだな」

出来上がった俺の自己紹介文を見た時尾は、大きな瞳を何度も瞬かせた後遠慮がちに尋ねてきた。

「元々のお名前は、山口…一様、だったのですね」
「ああ」
「江戸でお生まれに」
「ああ」
「…あの…大変、申し上げにくいのですが」
「何だ」
「…読めない…部分が…」
「そうか。俺もだ。自分で書いた字が読めんことが間々ある」
「えっ」
「字なんざそんなモンだろ。全部読めずとも大よその事が伝わりさえすればいい」

時尾が、未知の生物でも発見したかのような目でこちらを見てくる。

「新撰組の隊長をお務めになっていた頃の、文のやり取りは…?」
「仕切っていた組内では次席の奴に書記を任せていたから、俺の直筆は簡単な署名とか密偵の任務で局長と副長宛に何通か送ったくらいだな。二人からは『こりゃお前と付き合いの長い俺らが二人がかりでやっと解読出来る立派な暗号文だ』と言われはしたが」

そう言いながら、やはり俺の字はマズイのかと省みた。
局長と副長から言われたことといい今目の前にいる時尾の雰囲気といい、字とは基本的に一言一句自分にも他人にも読めるものであるべきらしい、と。
手元の和紙に、ミミズのような筆跡で書いた家族構成。
算術や書道を放ったらかして、喧嘩と剣術の腕っ節だけ強くなる弟を嘆き窘めた兄姉の名前。

広明、勝。悪かった。お前らの小言を右から左へ流し続けた阿呆な弟は今、育ちの良い女の前で大恥をかいている。

「…斎藤様」

そら来た。元祐筆を前に字を蔑ろにした男を怒るか、馬鹿にするか、寧ろ憐れむか。好きにしろ、何とでも言え。

「この字は…新撰組の局長様や副長様に親しまれた思い出のある、斎藤様ならではの字なのですね。この紙は乾かして取っておきましょう」

ミミズ文字が一面に踊る和紙を時尾は両手で丁寧に扱い、少し離れた場所で乾かす。
呆気にとられた俺はただ時尾の動作を目で追い、次の言葉を待った。

「斎藤様のこの字体はこれからも大事にしつつ、もう一種類の字体を会得されてみるのはいかがでしょうか」

気付けば俺は、時尾とともにトメハネハライから練習を始めていた。
農作業の有無に関わらず、毎日空き時間を見つけては二人で筆をとるようになった。
使える紙の数には限りがあったから、紙一枚を裏表真っ黒になるまで使い倒した。

思うように筆が運べずとも、ミミズ文字の癖がなかなか直せずとも
「あせらないで、少しずつ」と時尾が俺の筆を持つ手に手を添えては懇切丁寧に教えてくれる。

そして時々、時尾は小さな手拭いで額や掌の汗を押えては
「申し訳ございません、家族以外の殿方相手ですと、どうしても緊張してしまって。きっと、すぐに慣れますわ」
と、火照った顔ではにかんでくる。

最初は余計な世話だし居心地が悪いと思っていたこの書道教室の時間が、心休まるひと時だと思えるようになるのに然程時間はかからなかった。
それは時尾という存在がどうのというより、厳しい生活のことを全く考えずに済む時間だからというのが当初の主な理由であった。


2015/11/13
2017/07/16