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ほしいりこはく:5


明治三年師走のある朝、積雪した庭先で諸肌を脱ぎ日課である木刀の素振りをしていると、共同井戸から水を運ぶ時尾を見かけた。
その表情には、陰りがあった。
『母も弟も一緒に暮らせるようになったというのにどうしたことか』と気にかかり、朝餉を済ませて雪かきに取り掛かる前に声をかけてみた。

「体調がすぐれないなら今日は一日休めばいい。
変に無理されて不調を長引かせられると却って迷惑だからな」

もっと別に柔らかい言い方があるだろ、と自分の発言に心の中で駄目出しをする。

時尾は「大丈夫ですわ」と力なく笑うも、周りに俺以外誰も居ないのを確認してから、実は、と切り出した。

「昨夜、夢を見ましたの。
あの戦で、城下で命を散らした会津藩士達が半年放置されていたのを埋葬していた頃の」

母と弟と再会したことで緊張が和らぎ、図らずも今まで心の奥底に閉じ込めていた悲痛な記憶が夢となって現れてしまったのかもしれない。

「無惨な有様でした。
埋葬に着手してすぐの頃は『何たる仕打ち』と悔し涙が止まらなかった。
けれど、骨によって辛うじてヒトのような形を留めている彼らの死体を何度も見ているうちに、彼らは自身の肉や臓物を啄んだ蛆虫や鳥類を媒介してでもこの会津の地に還ろうとしていたような、そんな気がしてきました。
故郷の為に命を盾にした者達が故郷の自然に還る営みは、何人にも侵されない。
ただ、埋葬が出来る状況になったからには、やはり一人一人を安らかに眠れる場所へお連れしなければ。
彼らに生かされた私達が。
いつまでも敵などの為に涙を流している場合ではない。
…と、そうして徐々に冷静になれました。
もしかしたらそう思うことでしか自我を保てないところまで追い詰められていただけで、冷静とは真逆だったのかもしれませんが」

時尾は眉間に皺を寄せ、手拭いを握り締めた両手に視線を落としたまま続ける。

「…“官軍”は、生き残った“賊軍”すらも極寒不毛の地へ追いやって殺そうとした。
けれど今尚生きている私達は、何度も殺されようとしながら強くなった」

「自分達の苦境を誰かのせいにするのは簡単ですし楽です。
新時代の犠牲者であると嘆き同情を得られれば一時的に慰められもするでしょう。
でも私にとってはそれこそが敗北なのです。
私は心にまで白旗を立てたりなどいたしません」

「…と、夢の中でそう誓ったところで目が覚めて…。
そんな夢を見たからといって表情に出してしまい斎藤様に気遣われるようでは、やはりまだまだ強くなったとは言えませんね」 

ご心配をおかけした上に変な話を一方的にしてしまって申し訳ありません、と頭を下げた後の時尾の姿勢と目線は、真っ直ぐで洗練されたものに戻っていた。

「いいや。戦いを経た者の決意、しかと聞き届けた」

俺達は今も戦っている。相手は言うまでもない、己の弱さだ。


2015/11/17
2017/07/16